ワクワク不動怪獣日記

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仮面ライダーゼロワンについての私感その1


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うん。

 

まあ…普段散々擦り倒してるしそろそろまじめに向き合うか…って思って時間があったしまとめでもしようかなと…。たぶんライダーとしては好きなほうに入ると思います(最低でも半分よりは上)。

 

 

人工知能搭載人型ロボットが人々の仕事をサポートする新時代…。そんなフレーズからこの番組は始まった。エグゼイドのPと脚本タッグ、ゴーストの音楽、ルパパトの監督…エグゼイドとルパパトが好きな私には期待するなという方が難しいほどの夢の布陣だった。前作のジオウが「令和の象徴!」とハードルを勝手にぶち上げるのにふさわしいと思った。まあ話の総括はバルカンバルキリーを見終わってからする(その2を予定)として、現時点でもいくつか軽く話しておこうと思う。

 

 

・ゼロワン用語について

仮面ライダーゼロワンは独特な単語の使い方をする場面が多い。「シンギュラリティポイント」「正のシンギュラリティ」「悪意」などが代表例だろう。まずシンギュラリティという単語は技術特異点と和訳されるものであり、そもそも正や負の方向性を持つものではないし、ポイントをつければ技術特異点点となり、頭痛が痛い感じになってしまう。そして「悪意」、劇中では人間の悪意という形で頻出するが、使われ方がなかなかダイナミックであり、油断すると仮面ライダー滅アークスコーピオンのライダー説明「悪意の攻撃力を極大化させた」で頭を抱えることとなる(一般的な悪意には攻撃力の概念は存在しない)。要するに既知の単語であるが劇中で独自の意味が付与されているということだ。シンギュラリティはまあ「自我の獲得」、悪意はウルトラマン80のマイナスエネルギーに近いものという形で何となくとらえていた方がいいと思う。このあたりの既知の単語と意味が近いようで微妙に違う点は話の理解の上で物事をややこしくする原因の一つだと思う。その最大の例が「仮面ライダー」なわけだが、これはバルカンバルキリーでも扱われそうなのでまたそちらを見てからにするとしよう。

 

・ヒューマギアは夢のマシンなのかについて

 

 身もふたもない言い方をすれば、人間が仕事をしたくない!という欲求から生まれたのがヒューマギアである。現実でも人間ができないこと、やりたがらないことを機械にやってもらうことは多く、人間の代わりに働いてもらうなら人間の形になるのもまあ自然な発想だろう。ただヒューマギアにはいくつか問題点がある。まず安全性、ヒューマギアそのものが機械である以上人間より基本性能は上なわけで、そこからハッキングからの怪人化されて反逆してはたまったものではない。劇中では悪意によって自発的に怪人化している例もあり、社会生活のためにはこの点はなんとしても解決してもらわなければならない。そして最大の問題が自由意志の獲得である、劇中では心、夢とも表現されることもあったが、もともとヒューマギア自体が一定の目的をもって作られたものであり、その役割を全うすることに喜びを感じるうちは微笑ましい(劇中でもそれが喜ばしいこととして扱われていた)が、本来の役割と違うことを望めばどうなるか、育児型ヒューマギアがテロリストになるという極端な例だと治安維持のもとに鎮圧できるが、これが漫画が描きたい、俳優になりたいと言い出した場合どうなるか。ヒューマギアの購入者にもよるだろうが、例えばバッティングマシンが「もう打たれるのは嫌だ!!!」とバッティングセンターを飛び出して野球をやるようになったら、普通は怒るだろう。そもそも購入する側はヒューマギアに自由意志なんかないほうが都合がいいわけであり、誰も好き好んで異種族共存の問題なんか考えたくないわけである。ヒューマギアは人間が作ったものである以上、ファンガイアと人間のような異種族共存の土俵に上げることは少し無理があるように思う。ここで私が注目したいのがザイアスペックだ、ザイアスペックは劇中ではヒューマギアの競合製品のように登場したものの、冷静に考えると単純に労働人口を増やせるヒューマギアと個人の能力を底上げできるザイアスペックでは求められる場面が微妙に異なる。お仕事五番勝負の消防士編ではザイアスペックとヒューマギア間でデータのやり取りをする場面があり、ここが解決の糸口なんじゃないかと思う。要するにザイアスペックをつけて人間が頑張り、ヒューマギアと協力して仕事をするという互いのリスペクトを高めあうような関係を作れればいいと思うのだ。人間だってヒューマギアだって一生懸命頑張っているやつがいる、働きたくないやつがいる、いいことをすれば褒められる、悪いことをすれば捕まる…。このような感じでお互いのスペック上の差異を埋めたうえでのリスペクトが、完全な解決にはならないにせよ、ヒューマギアが独立した意思を持つ集団になった場合のお互いのための選択なのではないだろうか。…まあそもそもゼロワン世界のヒューマギアの普及度がいまいちわからないのでそこは場合によって変わるけど…。

 

 

 

・インタビュー諸々について

 私はエグゼイドで言う所の医者がAIで、ゲームがお仕事に相当すると思っていたのだが、制作陣は逆で医者がお仕事、ゲームがAI相当だと認識しているようだった。ここまで認識がずれていればそりゃ違和感は出るという物だろう。しかしエグゼイドのゲーム要素はバトル演出の彩や、ゲームクリエイター、ゲーム内の敵キャラというロールからゲームを商品としてしか見ていないクロノスに対抗するという上手い結びつきとしても働いていたように思うのだが、ゼロワンの場合はどちらかというとヒューマギアの人権、個体ごとの尊厳を考えるとノイズになっていた気がする。また脚本の高橋氏が脚本家インタビューで「テーマ以外のものは描かない、与えられたテーマとモチーフを深く掘る」という答えをしていた(YJ×脚本家スペシャルインタビューより)が、狭く深く掘ったテーマでやり方をミスるとリカバーが効きにくいな…問うのは感じた。全体的に感じた役割以外のキャラクターの遊び、愛嬌の少なさもここから来ているのかもしれない。

 

 

 ・戦闘面について

 もちろんゼロワンが好きである以上、明確にここは好き!!!な点もある。仮面ライダーの中でも戦闘面の描写に関しては文句なしにかなりの高水準でまとまっていたと思う。シャイニングホッパーのファンネル攻撃、エデン戦のメタルクラスタのメタルバッタ攻撃や乱戦の中で相手のキーをジャックライズし反撃に転ずるサウザー等列挙すればかなりのお気に入り描写があった。アニメやゲームのようなエフェクトとアングルをバリバリに使用した戦闘シーンは見ごたえがある一方でこういう戦闘シーンになると小物アイテムをあまりうまく使えていない所は明確な不満点の一つであったものの、ライジングホッパーやゼロツーといった小物にそれほど頼らない形態の戦闘ならそう目立たないと、全体的に見れば間違いなくトップクラスに入ったと思う。ドラマパートがいいに越したことはないのだけれど、いいドラマが見たければ普通のドラマ見ればいいだけの話で、私が特撮が好きな点は戦闘描写でありそこに重きを置いてるので、ゼロワンはその点ではかなり楽しめた。VSエデンの、スペックではゼロツーより劣るのでメタルクラスタだと格闘戦では苦戦するけど、メタルバッタでナノマシン再生を阻害し逆転する流れはBGMも相まって全ライダー戦闘シーンの中でもトップ3に入るぐらい好きである。

 

 

 

 

話やキャラのまとめに関してはVシネが出てからまとめも追加して話すよ。

それじゃあまた。