グリッドマンユニバースが好評な中、新条アカネや怪獣優性思想の皆様の話から怪獣論のような話題をちらほらと見かけるようになりました。
私も怪獣について拘りというほどのものではないですが、考え自体はあるにはあるのでいい機会だし軽く喋ってみようかなと思います。なおあくまで個人の考えであり、これが正解だと言って押し付けるつもりはありません。あくまで好みの話です。
①人ではない事
怪獣は人間ではありません。怪獣に人間がなることは出来ません。怪獣になるという事は人を捨てる事であり、両立しないと考えています。怪獣がビルを壊すことは好きですが、私がビルを破壊するために怪獣になった時点でそれはもう怪獣ではありません、力を持ったデカい迷惑な人間です。例えば「ウルトラマンギンガ」に登場したスパークドールズという人形をつかって怪獣に変身するケースは個人的には能力の拡張、あるいはスーツアクターととらえていて、要するにファイヤーゴルザ(SD)はガッツ星人ボルストであるという考えです。ファイヤーゴルザの外面をしていますがファイヤーゴルザではありません。同じスパークドールズでも「ウルトラマンX」のように怪獣が変化したオーパーツという設定ではスパークドールズから実体化していますがこれは怪獣だと解釈しています。また「ウルトラマン」に登場するジャミラや「ウルトラマンガイア」に登場するツチケラは人であったものが怪獣になったものですが、人の心を取り戻した時点で怪獣ではなくなったという見方をしています、グルジオレギーナよりグルジオライデンの方が怪獣…みたいな?実写作品から外れると「ウルトラ怪獣擬人化計画」の怪獣娘や「SSSS.GRIDMAN」の怪獣少女といった例も登場しますが、設定上は怪獣でも私の概念としての怪獣とは合致しないケースが多いです。
②巨大である事
設定上の話というより、実在性の話です。怪獣の巨大感というものは設定より演出に依存しているように思います。人やビルとの対比で大きく見せている演出だと田口監督の作品が特に好きですね。ビル街を避難する人々からビルより大きなデマーガが現れ進撃を開始する「ウルトラマンX」の1話等が個人的な理想形です。逆に設定上大きいだけで周囲に山や森しかなく、怪獣もほとんど動かないので巨大さが感じられないみたいなケースだとうーんってなります。うーん。
③贅沢な花火
多くの怪獣は短命です。設定上の話ではなくお話としてたいていの怪獣は30分もしないうちに爆発四散します。それが美しいのです。死をもってその芸術性が完成するのです。そもそも怪獣は人類の敵であるケースが圧倒的に多いので必然的に倒される事例の方が多数派になります。つまり登場して暴れて倒されるまでの一連の流れを含めて怪獣であると言っても過言ではありません。終わり良ければ総て良しというわけではないですが、最後の盛大な爆発四散こそが怪獣の美足りうるのです。なので私は怪獣が光の粒子になってサラサラ~…っと消えると「やる気あるのか!!!真面目にやれ!!!!!」と憤慨します、迷惑ですね。怪獣をスパークドールズに戻すという設定だがそれはそれとして盛大に爆発するザナディウム光線は非常に良いと思います。
④生物性
①と若干被るのですが、怪獣に生き物らしさがあると嬉しいです。スパークドールズ怪獣の場合元から設定のある怪獣が単にガワになっているとこの部分が丸々削ぎ落されるので好みじゃなくなるという点があります。ただ元から生物兵器である「ウルトラマンA」の超獣たちや「ウルトラマンジード」の時空破壊神ゼガンのようなケースはそれはそれでいいと考えています。「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」の古代怪獣ゴモラの超振動波や、「ウルトラマンX」の火山怪鳥バードンの巣作りのように元から存在する怪獣が後から設定を追加されるようなケースはかなり好きです。
私は怪獣になりたいというより、レイオニクスの方になりたいタイプの人間です、ポケモンが好きな理由を大本をたどればこういうことかもしれませんね。これだけ書きましたがあくまで怪獣としての好みの評価軸なので、キャラクターとして好きかとかはまた別の話です。要するに「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」と「ウルトラマンX」が私は大好きなので見てください。